シラン・ガーナ大統領

アメリカ大統領選挙が絶賛開催中である。トランプかハリスか、どっちが大統領になるかなんて知らんがな。

彼の国の大統領が誰になろうと我々というか私には関係のない話である。

ところで、どうでもええがなと思うかもしれんのだけど、人の幸せってなんだろうって考えた時、我々は最終的に自分が幸せだったら良いよね。まずは他人の幸せより自分が幸せになることが大事。

だから他人がどう思おうと、とことん自分の幸せを追求していこう。

でもちょっと待っておくれと。人ってやっぱ社会性の生き物なわけで、他人と関わらなきゃ生きていけない。そうすると自分の幸せに他人が関係してきちゃう。自分勝手を追求しようとしても生きていく上で日々生活する上で他人が関わらないことはまずあり得ない。

上記のように矛と盾さ加減で溢れてる中、さてここでマジックが一つある。自分≒自我と仮定するとして、仏教的には自我は幻想であるとい誰かが言ってた(ソースはウスター)。自分はいないのである。自我は存在しない。そうなってくると自我という存在自体が薄れてくる。

またスイスの心理学者カール・ユングは人間の心を意識と無意識に分けた。さらに無意識という部分を個人的無意識と普遍的無意識に分けた。

上記を私的に無理矢理ご都合解釈をすると幸せの追求方法って、自分の幸せと他人の幸せが一致とまではいかないけど近しくなることじゃないかなあと思う。自分の幸せ≒他人の幸せ。

自分の幸せを追求して生きた結果、他人も幸せになっていく。そんな世界って素敵じゃないですか?

そんなのアレや、知らんがな。


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